ウイスキー棚を見た瞬間、どのウイスキーを買えばいいのか
途方に暮れたことはありませんか?
ウイスキーを楽しむためにも、スコッチを知るべきだと思います。
なぜなら、最初にウイスキー造りが発展したのはスコットランドと言われているからです。
また、日本とスコットランドは、深い繋がりがあります。
幕末から明治初期にかけて、スコットランド人が日本にもたらした影響は多大でした。
例えば、「蛍の光」などのスコットランド民謡は、幕末期に薩摩藩が海軍を創設したとき、
指導したのがイギリス海軍でスコットランド出身者が多かったから、軍楽隊がスコットランド民謡を奏でました。
そして、日本人が最初に吹奏楽を聞いたのは、この瞬間だったと言われています。
目次
スコッチウイスキー 起源
ウイスキーの起源は、エジプトのアレキサンドリアと言われています。
蒸溜を含む化学の体系は、宗教と結びつきました。
もっとも太い柱がキリスト教で、アレキサンドリア経由でヨーロッパに最初に
キリスト教がアイルランドにもたらされたとき、ウイスキーの蒸留技術も伝わったそうです。
それがスコットランドに移入されて発展したと言われています。
ウイスキーに関する最も古い記録
1494年「修道僧ジョン・コーに8ボルの麦芽(モルト)を与え、アクアヴィテ(aqua vitae)を造らしむ」
アクアヴィテはラテン語で「生命の水」という意味、ゲール語で表すと「ウシュクべーハ」(uisgebeatha)
ウシュクは水、べーハは生命の意となり、そこから「ウイスキー」という英語が生まれたとのこと。
スコッチウイスキーの定義
スコットランドで製造されるウイスキーで、700リットル以下の樽で3年以上熟成。
最低でも40%のアルコール強度を有するものをスコッチウイスキーと呼びます。
スコットランドはイギリスを構成する国の一つ。首都はエジンバラ。
モスクワとほぼ同じ経度に位置しますが、暖流の影響で気候は比較的穏やかなのが特徴です。
当初は薬酒として修道院が独占的に製造されていました。
16世紀の宗教改革により蒸留技術が農家や民間に広まりました。
この時期は熟成の工程がなく、蒸留したばかりの無職透明の液体が飲まれていたそうです。
密造時代
1707年ウイスキーに対する課税が大幅に強化されました。
生産者の多くはこれに対抗して密造を行います。
皮肉なことに品質は密造ウイスキーが正規業者の品質を凌駕しました。
当時のイギリス国王が腕利きの密造業者ショージ・スミス製造のウイスキー「ザ・グレンリベット」を愛飲。
1823年 王が密造酒を好むことがあってはならないとの判断が、税率の引き下げを決断。
これを皮切りに政府公認の蒸留所が次々と誕生。第一号は「ザ・グレンリベット蒸溜所」です。
製法の多くは、密造時代に確立しました。
密造酒である以上、販売の時期を選ぶことができなかったため、
生産者は機会が到来するまでウイスキーを樽に入れて保存します。
その結果、「琥珀色をした芳醇でまろやかな香味を持つ液体」へ変貌しました。
蒸留したウイスキーを樽の中で熟成する工程が製造法に加わりました。
大麦麦芽を乾燥させるための燃料には、他に選択肢がないとう理由でピート(泥炭)が使われ、
小さな単式蒸留器を用いて2回蒸留する製法もこの時代に考案されました。
密造酒製造は名誉な仕事だった?
スペイサイド地区のクライゲラヒ村。
その山間部にスぺイ川の支流、フィディック川の渓谷の斜面にある小さな建物。
建物の周りは川の水音ばかりで、参道の脇にポツンと一軒だけ家がある。
それがBARだと教えてもらわないとわからない。
BAR「フィディックサイド・イン」です。
店の壁に茶色に変色した大きな肖像画が飾っている。
その下に「James Smith/Game Keeper and Illicit Distiller/1840」と記されている。
ジェームス・スミス氏が「ゲーム・キーパーと呼ばれる森林管理人の仕事をし、
同時にイリシット・ディスティラー(違法な蒸溜業者)であったこと。
19世紀半ばの「密造酒製造」は、誇るべき、また名誉な仕事であったということを子孫に伝えようとしているのです。
スコッチウイスキーの多様化
1826年 連続式蒸留器を発明。
ウイスキーの大量生産が可能となりました。
グレーンウイスキーの誕生
ローランド地方の生産者は連続式蒸留器を積極的に活用。
原料をトウモロコシなど安価な穀物に切り替えました。
※モルトウイスキーは、ハイランド地方の生産者が従来通り、
大麦麦芽を原料とし、単式蒸留器を使った製法を維持。
ブレンデッドウイスキーの誕生
1860年に異なるウイスキーを混合させてならないと定めていた法律が改正。
モルトウイスキーとグレーンウイスキーを混合したブレンデッドウイスキーが誕生します。
スコッチウイスキーの繁栄
19世紀後半にガラス製品の大量生産が可能になりました。
ウイスキーを詰める容器としてガラス瓶が定着。
容器の蓋には長らくコルク栓が用いられていたが、ワインと異なり瓶の中で熟成することがなく、
開栓誤すぐに飲みきれないウイスキーには不向きでした。
1913年にウィリアム・ティーチャーズ者が木製東部付きのコルク栓を、
1926年にホワイトホース者が金属製のスクリューキャップを発明。
これによりウイスキーの売り上げは飛躍的に伸びました。
スコッチウイスキーはイギリスにとって5大輸出品目の一つ。
その輸出規模はおよそ200か国、6000億円を数えます。(イギリス国内で消費されるのは1割に満たない)
輸出される種類を見ると、1990年代前半では約95%をブレンデッドウイスキーが占める。
2000年代後半にはシングルモルトの占める割合が15%を超えるようになりました。
現在、年代物のスコッチウイスキーが高値で取引されるなど、
空前のウイスキーブームが巻き起こっています。
スコットランドの蒸留所
100を超える蒸留所が存在。
酒類生産免許に関する規制の違いに基づき、ハイランド、ローランド、キャンベルタウン、アイラの4地区に分類。
ハイランドからとくに蒸留所の数の多いスペイサイドと、
オークニー諸島などの島部(アイランド)を独立させ、6地区に分類する方法も採用されています。
■参考文献・写真
スコットランド酔夢紀行 シングルモルトへの旅
著者:佐々木幹郎 様
写真:齋藤 亮一 様