「響ブレンダーズチョイス」が衝撃的に美味しかったと、酒屋の主人に話したとき、
「響ブレンダーズチョイス」よりお手頃でおいしいウイスキーがあるよ
と出してくれたウイスキーが「バランタイン17年」でした。
「響ブレンダーズチョイス」と比較するのは、同じブレンデッドウイスキーで、酒齢15年以上の原酒を使用している理由からです。
クリーミーと言う言葉は、「バランタイン17年」の為にあるのかもしれないと思うくらい甘くて美味しかったです。
17年の長期熟成でコスパも良く、一度飲んだら病みつきになること間違いなし。
長期熟成のウイスキーを飲んだことがない方におすすめのウイスキーです。
目次
バランタイン17年 特徴
原材料 | モルト、グレーン(スコッチ・ブレンデッドウイスキー) |
容量 | 700㎖ |
アルコール度数 | 40% |
希望小売価格 | ¥9.000 |
テイスティングノート
香り | バニラ香、樽香、バランスの取れた深く気品のある香り。 |
味わい | クリーミーで蜂蜜のような甘美さの中にも、オーク樽とピート香のスモーキーさも感じられる複雑で力強い味わい。 |
フィニッシュ | 長い余韻。微かなスモーキーとバニラ香。潮の香り。 |
1937年の発売以来、揺るぎない地位を誇るバランタイン17年。
「ザ・スコッチ(The Scotch)」として称えられる逸品です。
バランタインには、スコットランドの4つの地域でつくられた個性豊かなモルト原酒がブレンドされています。
その数は40~50種類。
バランタイン17年は、個性豊かなモルト原酒の香りと味わいが奏でる交響曲であり、スコットランドの魂そのもの。
酒齢17年以上の長期熟成原酒が織りなす奥行きの深い気品ある香りと繊細で複雑な味わいが、多くのウイスキーファンを魅了し続けています。
バランタインの売上は、ジョニーウォーカーに次いでスコッチの中で第二位です。
4種の主要キーモルト
グレンバーギ | 洋ナシのような香味、スイートでふくよか。シングルモルとして出回ることはほとんどない。 |
ミルトンダフ | ミルトンとは「製粉所のある村」の意。ノンピーテッド麦芽を使用し、フルーティーかつスパイシーな甘さ。 |
グレントファース | スペイサイドのキースの村にある6つの蒸溜所の中の1つ。湧き水が豊富な場所で、豊かな味わいと完甘美な余韻が特徴。 |
スキャパ | 幻のローモンドスチルを使用。発酵時間80時間、ファーストフィルのバーボン樽のみで熟成。独自のこだわりを持つウイスキー。 |
バランタイン17年を飲んでみた感想と評価
ストレート
バニラ、ハチミツ、後に引かない気品ある複雑な香り。
口に入れた瞬間、とても軽いと感じた。
しかし、喉を通り越すと優雅な甘さと奥深さ。アルコール感は強く感じないのに喉を熱くさせる。
長期熟成がもたらす重厚な甘みに加え、口全体が繊細かつ複雑な心地よさに支配される。
鼻を抜けるバニラと微かなピート感は言うまでもなく絶品。
フィニッシュはスパイシーさが舌に残り、若干潮の香りもする。
オンザロック
バニラ香の甘さが際立つ。
テイスティングノートにも記載されていますが、クリーミーさが強いです。
味わいの深さや重厚さではなく、クリーミーさがバランタイン17年の最大の特徴ではないでしょうか。
フィニッシュに微かなピートの余韻とバニラ香が鼻を抜ける。
まろやかで優しい香味が優雅な時間を造り出してくれます。
クリーミーさを一番感じたのは、オンザロックです。
私は、オンザロックを一番おすすめします。
ハイボール
気品あるバニラの香り。甘さは感じずスッキリしている。
洋ナシのような甘さ、フィニッシュにスパイシーさを感じる。
物足りなさや嫌な甘みがなく、完成された完璧なハイボールだと感じました。
ついついブレンデッドウイスキーと言うことを忘れてしまう。モルトウイスキーよりもスッキリしている。
バランタイン17年はストレートかロックで飲もうかと思いましたが、ハイボールもかなりおすすめです。
ただし、オンザロックのおいしさを考えると、もったいない気も多少否めません。
バランタイン17年 みんなのレビューを集めました
今日の1杯はバランタイン17年です。行きつけの酒屋さんで税込5000円で買えました。スキャパ、グレンバーギ、ミルトンダフ、グレントファーズがキーモルトです。ハチミツのような甘さと、トーストのような香ばしさが口の中に残ります。The Scotchと言われているのも納得の味わいです。 pic.twitter.com/KX3zyBymPI
— 日々是好日 (@A3g98FkP2f3VQU0) February 18, 2022
バランタイン17年
5000円ちょいで買えるからコスパいいよね🥃 pic.twitter.com/8QgfwwljBv— ベル🔔 (@bell_bell_s1991) February 18, 2022
バランタイン17年も試してみた。華やかな香りのする良いお酒。この価格帯のバランタイン、シーバスリーガル、ジョニーウォーカーを比べると、ジョニーウォーカーグリーンラベルがスモーキーで好きかなぁ。 pic.twitter.com/WPYRpzfaPz
— 吉原啓 (@mikaboshi14) February 20, 2022
一杯目
バランタイン17年
美味しい、、🥃🥰#twlc#ウイスキーhttps://t.co/rUrqIH2maO pic.twitter.com/AiF9XGL4L5— ウイスキー女子かなまる。 (@kanamaruwhisky) February 22, 2022
バランタイン17年とバランタイン12年。
炭酸水とウイスキーの割合を合わせて作りましたが、個人的にハイボールは12年に軍杯。
熟成年数ではなく、ブレンドの比率や方向性の違いでしょうか。12年が、17年の下位互換なんて事は決して無い。
2本とも色々な飲み方が勉強になる銘柄だと思います。#TWLC pic.twitter.com/VeKU769D71
— S15@心も車もドス黒い人 (@Scarface_S15) February 23, 2022
そして昨日の晩酌
持ってったバラン17年で
やっぱ17年無難にうめーわ、、#バランタイン17年 pic.twitter.com/pDJ7JoMlrv— 筋トレウイスキーを嗜む人@福岡 (@alcoholmuscle) February 26, 2022
バランタインの歴史
創業者 ジョージ・バランタイン(1809~1891年)
バランタインの歴史を調べていると、時代の変化とともにウイスキーを取り巻く環境が変わっていく過程がとても興味深く、面白かったです。
バランタインがジョニーウォーカーに次ぐ、スコッチの売り上げ第2位になったのが納得いく内容でした。
ウイスキーが好きな方は、是非バランタインの歴史をご覧ください。
ジョージ・バランタイン 奉公時代
1822年 ジョージ・バランタインが13歳で小学校を終えたとき、父親はジョージを奉公に出すことを決める。兄が農業を継ぐことが決まっていたし、家計は厳しくジョージを養育していく余裕がなかったからである。奉公先はエジンバラの食品・ワイン・スピリッツ商を営んでいた店だ。店の中はやや薄暗く、スパイス、紅茶、コーヒー、果実、魚等の匂いがいっぱいで、ワインやウイスキーの小樽も置かれていた。店の奥の小さな物置がジョージの寝床だった。奉公の契約内容は厳しく、期間は5年、休日は一週間に半日、一日欠勤すると理由の如何を問わず奉公機関が二日延長される。契約を解除した場合は10ポンドの違約金を支払わなければならなかった。勤務は早朝から日暮れまで、少々の給金はでたが仕事は厳しかっただろう。
店主はジョージをよく教育した。将来は自分の店を持つことが夢だったジョージは一生懸命勉強した。奉公は1827年5月に明ける。店主は年季奉公契約書に「ジョージ・バランタインは、真面目に、正直に、信頼を裏切ることなく奉公を終えた」と記し奉公明けを証明した。
1823年 ウイスキー蒸留認可制度により密造時代が終焉する。ウイスキーの可能性が徐々に広がりつつあった。
ショップオーナー時代
1827年 18歳のジョージはエジンバラに食料品店を開く。努力を重ね4年後、さらに5年後と好立地の繁華街へ店を移していった。この頃からウイスキーブローカー仲間との交流が増え、業界の信用を得ていった。
ジョージが成功を収めていった19世紀中ごろは、スコッチウイスキーの変革期だった。
1830年 アイルランドのカフェーが連続式蒸溜器の特許を取得、スコットランドでグレーンウイスキーの製造が始まる。
1853年 同一の蒸溜所のウイスキーなら、年数の異なるウイスキーを混ぜ合わるヴァッティングが許可され、1860年には、蒸溜所が異なるウイスキー同士のブレンドも許可された。
ジョージはこの一連の流れを見て、ウイスキーの将来性に大きな確信を持つようになった。
1853年 ウイスキー商のアンドリュー・アッシャーがさまざまなモルトウイスキーを混ぜ合わせたヴァッテドモルトウイスキーを製造。アッシャーの友人だったバランタインは彼の苦心談から閃き、グレーンウイスキーとモルトウイスキーを混ぜ合わせブレンドの技術を磨き始める。
バランタイン17年の礎
1870年 ジョージは61歳になっていたが事業意欲は衰えず、エジンバラより大都市且つ急激に発展していたグラスゴーに進出することを決める。エジンバラの店は上2人の子供に任せ、新しく開店する店は自分と末っ子のジュニアでやることにした。
ブドウの凶作により高級蒸留酒に飢えた上流階級の人々がブレンデッドウイスキーに群がった。この時期に独自のブレンデッドウイスキーの完成を目指す。これがのちのバランタイン17年の礎となる。
1889年 ジョージ80歳で完全に仕事から手を引いた。81歳で妻を亡くす。その翌年、長男アーチボルトに見守られながら息を引き取った。享年82歳。
1895年 長男アーチボルトはエジンバラきっての目抜き通りプリンズストリートに店を開く。この店が上流階級の人々に愛顧され、国内外にバランタインの名が広がった。グラスゴーではジュニアが父親から事業を引き継ぎ偉大な快挙を成し遂げる。ヴィクトリア女王からバランタイン社に王室御用達の照合を授与したのである。これが、バランタイン社の世界的発展の弾みになった。
1910年 バランタインファイネストを発売。バランタイン社の主要な輸出製品となる。
バランタイン家による経営の終焉
1919年 アーチボルトとジュニアは50代半ばを迎えジョージ3世は拡大した事業を任せるには若すぎた。事業環境は大きく変わり海外市場の開拓も遅れをとっていた。事業拡大と国内外への進出に備え、バークレー・マッキンレー商会に経営権を譲渡した。バランタインの伝記の一説
「エジンバラのバランタインを預かっていた初代ジョージの孫のジョージ(三世)は、もう再び来ることのないオフィスを出る時、天にいる祖父に向かって言った、“おじいさん、一家で経営していけなくて申し訳ありません。でも、今回の処置が、おじいさんが築いたバランタインのブランドを守り、発展させてゆく最善の方法であると思っています。どうぞ分かってください”と。」
バランタイン家の勇気ある決断がなければ、今のバランタインは無かったかもしれない。時代の流れをとらえ、バランタインのブランドの為に取った行動は、称賛されるべき歴史的な判断だったと思う。
バークレー・マッキンレー社からハイラムウォーカー社へ
会社を引き継いだバークレーとマッキンレーの2人組は、バランタインのブランド価値を認め、発展させることに全力を尽くした。マッキンレーはバランタインの品質の守護者として、バークレーは果敢な営業マンとして。
1936年 バークレーは市場を広げる為ならリスクを恐れず何処にでも出かけていった。バークレーが出かけていったのは、禁酒法下のアメリカとカナダである。ライバルの業者との確執やアメリカの非合法で非常に危険な取引先などの難関が待ち受けていて、何度も身の危険を冒した。
その他にハイラムウォーカー社ともコミュニケーションを取っていた。ハイラムウォーカーはカナディアンクラブの創始者。1926年にハリー・ハッチ氏が率いるカナダ第一の蒸溜会社、グッダムアンドワーツ社にハイラムウォーカー社は買収されている。(ハイラムウォーカー社についてはこちらの記事をご覧ください。
→カナディアンクラブ 飲んでみた感想と評価 カナディアンクラブの歴史・特徴を深堀)
ハッチは本格的なスコッチウイスキーへの進出の為、更なる優良ブランドと生産設備を求めていた。バークレーは、自分が1919年にバランタインを買収した時を思い出し、自身の利益だけでなく、バランタインブランドの発展にとっても悪い話ではないので、1936年にハイラムウォーカー社にバランタインを譲り渡した。
バランタイン17年の完成~現在まで
1937年 マスターブレンダーのジョージロバートソンによって、バランタイン17年が生み出される。バランタインがこの世を去って約50年が経とうとしていた。バランタイン17年の極秘レシピは、現在に至るまでほとんど変わっていない。スコットランド各地から厳選されたモルト原酒を使い発売され、なめらかさと優雅さに品薄ながらも口コミで人気を博していった。
1938年 ヨーロッパ最大のグレーンウイスキー蒸溜所であるダンバートン蒸溜所を建設。敷地内には小さなモルトウイスキー蒸溜所、貯蔵庫、ブレンディングやボトリングのための工場を併設。総工費は300万ポンド、現在の日本円に換算すると700億円越えとなる。この年にはスコットランド紋章院長官により、新生バランタイン社を象徴する紋章に認可状が交付された。
グレンバーギ、ミルトンダフ蒸溜所を買収。一時は13のモルト蒸溜所と2つのグレーングレーン蒸溜所を所有する巨大企業に成長する。現在はペルノリカール社の傘下・シーバスブラザーズ社が運営に至る。
(稲富博士のスコッチノートより参照)
最後に
ジャパニーズウイスキーに人気が集まり、あまり目立っていませんが、バランタイン17年はかなりおすすめです。
長期熟成に関わらずコスパがよく、どの飲み方でも楽しめる最高の逸品。
ウイスキーをある程度飲んだ方に、是非おすすめしたいウイスキーです。
今日はちょっと優雅な時間を過ごしたいと思った夜には、最高の相棒になってくれると思いますよ。